【2019日本帰省8】大分・宮崎県境の険道から高鍋大師へ


午後1時。深島から蒲江港に戻ってきた私たちはさらに南下。

今から向かうのは宮崎方面。なんか前にも書いた記憶がかすかにあるのですが、九州のマイナー県の一二を争う大分と宮崎。…今脳内に♪えすえーじーえーなんとかとかいうしょうもない歌が再生されているのですがとりあえず無視します。このマイナー県ふたつを結ぶ道もしょぼいです。

大分の県都大分市(くれぐれも別府市ではない)から車で宮崎県最初の都市延岡に向かおうとすると、現在ならば東九州自動車道というこの区間はほぼ全部対面通行というなんちゃって高速道路一択ですが、これが開通したのは2015年とほんの数年前。それ以前は比較的内陸を通る国道326号線(三国街道)が基本で、道に詳しくない人、あるいは東九州の大動脈をひたすらにたどる国道10号線を通るのが絶対の正義と信じている人は三国街道よりやや海寄りの日豊線に沿った宗太郎越え。それ以外を考える人は私と同レベルの変人認定。地図で確認したい人はこちらへどぞ。

どっちにしても宗太郎峠もかなり内陸。海沿いは行けないの?という素朴な疑問を持つ人もいそうだけど、まあ、行けるか行けないかで言えば行ける。だけど、普通の人が行くか行かないかで言えば…行かない。実際この区間の海岸線の道を律儀にたどると170キロ4時間半の旅程になる。まさに罰ゲーム(ごく一部の変人にはご褒美)。

大分と宮崎の海沿いの県境の過疎っぷりというのはそりゃもうすごいものがある。上記の通り長距離移動の人はここには間違っても来ないし、海沿いの集落から佐伯市、あるいは延岡市の中心を目指す人はいても県境を越えようという人はいない(弊社調べ)。

なんちゃってな道。時速30キロしか出せてないところでお察し。なお、車載動画からのキャプチャなのですが、ヨーロッパ時間のままなので時刻はめちゃくちゃです。

それでも大分県内の最終集落蒲江波当津まではリアス式海岸の道がなんとなく続いている。

その途中には「やすらぎの道」というセンスの欠片もない名前の展望所がある。おお、さっきまでいた深島が見える。なお、上の写真はパノラマ写真ですので左右にぐりぐりできます(一部環境を除く)。

波当津集落。いちばんにぎやかそうな場所でのキャプチャです。

大分県内の最終集落は佐伯市蒲江の波当津集落。ここまで来るのもけっこう難儀だったが、2013年にこの大分県の最果ての68世帯人口141人の集落に革命的な出来事が起こる。それは東九州自動車道のインター開通。

実際「なんでこんなところにインター造るねん」と思っても不思議はない。しかし、同行の地元民高萩さんによれば、ここの住民が、もし急病になったら救急搬送はほぼ絶望的だったらしいのだが、東九州自動車道の開通のおかげで状況は劇的に改善したとか。税金の無駄とか罵倒するのは簡単だけどそこに住んでて便益を受ける人も確実にいるのよねん。

ここから宮崎県延岡市の最初の集落北浦町市振まではおよそ6キロ。この区間の道が…酷い。件の波当津インターを過ぎた瞬間こうなる。

言いたいことは十分伝わるんだけどなんと読むのか未だにわからない佐伯市内のここそこで見かける謎の看板「巾員極狭」。路面状況をご覧いただければかるとおり、ここを通る車などほとんどいないと思われる。

一台だけすれ違った対向車。こんな道は軽以外できちゃダメ。

この酷い道を徒歩で旅させた酷いテレビ番組が存在します。ローカル路線バスの旅Z 第11弾 大分・別府~熊本・阿蘇です。しかも土砂降りの雨の中。ガチが売りの番組なのでロケバスで移動したとかいうインチキはしてないと信じますが、ここを本当に歩いたのかと正直驚きます。なお、番組内では地元の方をして「道路はあんまり車が通っていないから悲惨な道だと思う」と言わしめています。実際そのとおり。

ここを左。道はなんとなくある。

市振の集落に到着する前に横島展望台に寄り道します。

…いや、3ナンバーの車で入ってきちゃいけない道だろ。

展望台からは深島が再び良く見えます。

バスは一日一度来る」直江バス停。

さて、件の番組では市振の集落内にある直江バス停まで徒歩でたどり着いたものの、このバス停には一日1本、しかも朝6時台のバスしかないことに気がつきここからさらに6キロ先の古江地区まで歩く羽目になります。その道を辿ろうとしたのですがうっかりバイパスに入ってしまいました。それにしても一日1本しかないバス。日豊線の宗太郎駅といい大分・宮崎の県境の過疎っぷりは特筆すべきものです。

あ、ちなみになんですけどね、蒲江と北浦を結ぶ道って、この険道以外にも国道388号線がちゃんと存在するんですよ。国道が。でもね、その国道の入口は

…あとは推して知ってください。というか通ったことがありますが、この険道以下の非道い道です。

その後、件の国道388号線に合流して延岡市内へ南下。ただし、市振から先は完全に改良されたトンネルの続くパイパス路で快適(つまり、県境付近だけは交通需要がないから改良されてない)。そんなトンネルとトンネルの間で突然高萩さんが変な声を上げる。なにかと思って車を停めると、そこは須美江インター入口という交差点。そこには

案山子がいっぱい。

♪げーんきーでいるかー まちにはなれたかー ともだちー できたかー

…と昭和の歌を思わず歌ってしまいましたが、一面のコスモスの中に多数の案山子が

♪こんなこはるびよりのー おだやかなひにはー

…これ以上昭和歌謡を歌っているとこの先を読んでくださる方が完全にいなくなりそうなのでやめときますが、まあいろんな案山子が。

「令和おじさん」という解説から推察するに、こちらの御仁は現在は総理となったと思われるお方。しからば…

似てないにもほどがあるだろうっ

某 お・も・て・な・し と詩人(当時から環境大臣だったんですね)のご夫妻。詩人さんの方は割とポイント掴んでいる気がします。

…夜に通りかからなくてよかったわ。

そこからなぜかさらに2時間もかけて南下して、たどり着いたのは高鍋町。高鍋大師へ。

個人的には大師と聞くと東京の外れにある西新井大師を思い浮かべますが、そんな大師を思い浮かべられたお方は次の写真を見るとぎょっとされるに違いない。

いや、ぎょっとするって私が言ったんじゃないですよ。地元の高鍋町観光協会さんが作成された「高鍋学のすすめ」という小冊子に書いてます。いわく

(ここから転載)

初めて訪れた時はぎょっとする。千手観音のように胴体から突き出した腕を何本も持つ像、モアイ像にも似た面相の頭上から3本の角のようなものを生やした像。それらは高さが6mを超えるのだが、そんな巨像9体に混じって人の身長くらいのもの、20〜30センチの高さのものなどがあたりに林立しているのである。

その数、実に750体。どれも定型にとらわれておらず、テクニックに走ることがないブリミティブなものばかり。みな顔が柔和なのも特長だろう。作者は岩岡保吉氏。

(転載ここまで)

ちなみに夕飯は延岡市で名物おぐらのチキン南蛮。ちゃんと作っているファミレス…つまりはロイヤルホストみたいなところなのだがお値段は良心的。

うちに戻ってきたのは深夜。さらに次回は怒涛の一日になる。続く。