【2022日本帰省-12】餘部駅に途中下車し余部鉄橋見学。


始発の北陸新幹線で上野を出て、金沢、京都、そして城崎温泉で華麗な乗り換えを決めて、お次はついに特急ですらない。各駅停車の浜坂行き。

真っ赤なキハ47。ごめん知ったかした。キハ47って前に書いてあるからそう言っただけ。正直列車の型式とかよくわからないんだけど、これが昭和の古い列車というのはわかる。中も懐かしい感じのクロスシートが並んでいる。

この2両編成の列車、ほとんど空席がないくらい混んでいる(なので写真もない)。というか立ち客も出ている。足湯なんかにのんびり5分浸かってたもんだから完全に出遅れた。だがしかし、一人旅はこんなときに有利です。ボックスシートにぽつんと空席を目ざとく見つけ座らせてもらう。

途中で停車した香住駅。ラッチが2箇所もあることからも往時は栄えていたんだろうなということがわかる。

車窓から見える日本海もいい感じ。

各駅停車でのんびり40分ちょい。到着したのは餘部駅。こう言っちゃ何だが、何もないはずのローカル駅。なのだがここで思わぬ異変が。

大繁盛の餘部駅。

ほぼ満席だった2両編成のお客が8割…下手したら9割方降りた。

(この左手にある坂を下ればエレベーターを使わずに集落まで降りられます。)

なんでやねん?!

ここにあるのは余部鉄橋。こここそが、私にとっては本日金沢もなんなら天下の京都まで完全になげうってまで観光したかった場所。マイナー観光地に勝手に認定していたが実は私の認識が間違っていた?

これを書いてようやくアップロードしようという段階になって気がついてしまった。どうもJR西日本の企画きっぷ大阪から往復5000円で行き先がランダムに決まるというサイコロきっぷの目的地の一つが餘部だったらしい(大当たりは博多)。だとすると、日曜日だったこともありさっきの城崎温泉を含めたこのありえない混雑も説明がつく。

(人がある程度いなくなってから撮影)

かくして、とんでもなく混みあった余部鉄橋。エレベーターの前には行列。

こうなると天邪鬼になるのが私。ふんっ。エレベーターなんて使わんけんね…と自分の足で坂を降りることに。言うまでもなくこの道こそがエレベーターなどが設置される前からある集落と駅を結ぶ小道。

 

下りなので大した労力も時間もかからず数分で集落のある鉄橋の下に到着。

亀がいる。なんでやねん?!

後で調べたらこの亀、「余部鉄橋『空の駅』」の駅長さんらしい。

30分も経つと人ははけてきた。…ってそれも不思議。なぜならこの間に発着した列車は方向を問わず皆無。観光バスか何かが迎えに来たのではないと説明がつかない。サイコロきっぷのお客さんはどうやって城崎温泉、そして大阪方面に戻っていったのだろう。謎。

とりあえず誰も使っていないエレベーターで橋の上に戻ってみる。お暇な方は動画でもどうぞ。

2枚上の写真で先端部となるエレベーター横より撮影。この先に鉄路が続いていたことを想像できるように配慮はされているものの、明治45年に作られた世にも美しかった鋼製トレッスル橋は残念ながら現存しない。その代わりにPC橋が真横に作られている。残念、旧橋を見てみたかった。

それにしても明治45年…明治時代の最後の年は西暦で1912年。今から110年以上も前にこの足すくむ高さに鉄橋を渡し、そのままトンネルを掘るとはとんでもない高度な技術が必要だったことは私のようなアホにでもわかる。

私がこの橋に興味を持ったのは1986年の余部鉄橋列車転落事故がきっかけ。考えてみると1985年の日航ジャンボ墜落事故といい、この頃にテレビで見た事件事故って私の心の中に深く刻まれているとしか思えない。鉄橋から列車が転落したという衝撃的な事実もさることながら、こんな橋があるんだ!と驚いたことのほうが大きかった気がする。それから実際に訪問するまで35年以上はかかり過ぎな気がするし、そんなに悠長にしているから橋そのものが無くなってしまった。

再び下に降り、人気のない集落の中をてくてく歩いて海へ行ってみる。

途中で振り返って撮影した余部鉄橋の写真です。

4枚の写真を合成

日本海を見てボーッとしていることからもご賢察のとおり、次の列車が来るまでやることがないのだ。次の列車まで2時間と10分。何をしろと言うねん。

 

余部橋梁の下まで戻ってくると、初代の橋がモニュメントとして残されていた。初代の橋が残されていないのはかえすがえす残念だけど、関係者各位がこうしてできる限りの保存のためにご尽力してくださったことには素直に感謝したい。

通りを挟んで反対側には、例の事故で犠牲になった方の慰霊碑。黙祷しておいた。

することがいよいよなくなって道の駅へ。ややこしい、そしてほとんどの人にはどうでもいいことながら、ここにはJR山陰本線の餘部駅「余部鉄橋『空の駅』」「道の駅あまるべ」と駅を名乗る建造物が3つもある。それぞれ餘部・余部・あまるべ…とあてる字さえ違う。

残念ながらすでに道の駅の厨房は閉まっており食事をすることはできず。ちなみに本日の食事は金沢駅で買った駅弁を食べたっきりです。ただこうやって何か楽しいことをしていたら空腹なんて大して気にならないのよねん。ともあれ、やることがないので余部鉄橋についてのDVDが放映されていたのでぼーっと眺める。旧橋から新橋への線路の切り替えなど興味深かった。

かくして苦節2時間。ようやく鳥取方面への列車がやってきた。私が餘部まで乗ってきた1本前の列車と異なり、2両編成に20人も乗っていないある意味「平常運転」。結局前の列車であれだけの人が降りたにも拘らず、後続の列車を待った「鉄道ガチ勢」は私を含めて片手の指の数もいなかった。

それにしてもこの山陰本線の運行本数の少なさには正直閉口した。私としては公共交通機関を使っての旅を楽しみたいのだけど、余部鉄橋の観光は1時間あれば十分すぎた。なので、残りの1時間は無為に待っていた時間ということもできる。この間に次の列車がないのならやっぱり便利なのは車ということになる。実際余部鉄橋からわずか1キロの距離に高規格道路インターまであるし…と、こうして公共交通機関はますます衰退していく。

古いながらもきれいに保たれた車内。

個人的な感覚としては公共交通機関としてまともに機能するのは毎時1本の運行頻度までだと思う。例えば、最寄り駅に毎時X分に行けば上りの列車(別にバスでもいいけど)が来て、下りの列車はY分とかなら利用できるがこれ以下になったり、時刻表が不規則だったりするともう使う気にならない。この毎時1本の運行頻度が存続か廃止かの分水嶺だと勝手に「毎時1本の法則」をここに提唱しておく。

餘部駅から13分で到着した途中の浜坂駅では27分の停車。(のりかえのない)同一列車だったのでこんなに待ち時間があるということに現地に到着するまで全く気がついていなかった。しからば腹も減ったし駅前になにかあるかと降りてみる。

人がいない瞬間を狙って撮影する必要がなかった。実際はもっと暗かった。

おみやげになる干物はあっても今すぐ食べられるものという意味ではあまり期待のできなそうなお土産屋さんがあるばかり。一度入るとなにか買うまで外に出られない系の店だな(個人の意見どす)。しかも雨が降り出した。やーめたっ。ちなみに私に横を見る能力があれば足湯を見つけていたらしい。

駅舎内にはちょっとした図書館のようなものがあったしとてもきれいに保たれていたのでその点は触れておきたい(写真をたしかに撮ったのだが見つからない)。ただ本じゃお腹は満たされないのよねん。

浜坂駅より50分。上野駅を出発してすでに12時間がゆうに経過した午後6時35分、ついにようやくとうとう本日の目的地鳥取駅に到着。飛行機を使えば上野から始発利用でここに朝8時半過ぎに到着可能という余計なことに気がついてしまった。それはそうと、変なきっぷなのでまた有人改札に行かねばと思ったら

昭和感漂う鳥取駅。実に好ましい。

有人改札しかないっ!

いやびっくり。鳥取って県庁所在地にもかかわらずイコカの勢力外なのね。なんか懐かしい感じがして素晴らしい。

改札の駅員さんがまた人懐っこい方で私のきっぷを見て最長片道切符の旅のお話を始める。…いえいえ、そんなたいそうなきっぷじゃないです。私のは単なる九州から山口までの片道切符です。

鳥取駅を降りた感想。…暗い。

ごめん。悪く書くつもりはないんだけど、近代的な高架駅なのに駅前はびっくりするくらい暗い。確かに雨という要素もあるには違いないけど、県庁所在地の駅前なのにいまいち繁栄という言葉と縁遠いのよ(こっちが「駅裏」だった可能性は高い)。予約した宿はこっちだろうと歩き始めるが…暗い。

徒歩5分ほどで本日のお宿しいたけ会館対翠閣に到着。この宿にした理由。温泉がある。以上。温泉宿狙いという意味ではさっきの駅から見た限りですらひなびた感じが私の性に合っていた浜坂温泉郷でも良かったし、日本のハワイ(はわい温泉)なども捨てがたかったのだが、翌日のぎちぎちの旅程を考えると、鳥取以外に泊まる選択肢は残らなかったのよ。はわい温泉には遅くにならないとたどり着かなかったし。

いやー、素晴らしい宿でしたよ。昭和の薫りしかしないという意味で。なお、その名の通りしいたけ料理がここのおすすめらしいので、それを食べずに素泊まりした私にこの宿を語る資格はない。

とりあえずご飯を食べようと思ったが…雨が本格的に降り始め、駅まで戻る気がなくなった。戻ったところであまり期待できそうにない感じもしたし。かくして、最寄りの飲食店へ行くことに。

そこはお客さんのまったくいない中華料理店だった。

おつまみセット1300円なり。€8くらい。ほんっとに日本の行く末が心配になる値段。

写真の棒々鶏とビールとたぶん餃子を注文。「たぶん」と記憶が既に定かでないところからお察しください。

重くなくちょうどよかったわ。

翌朝撮影。

大浴場へ行き雨に冷え切った体を温泉で温める。翌日はハードなのだぁ…とさっさと寝た。さあ、翌日はこの旅最大の山場なのだ。続くのだ。