居留守のJohnと車の部品

車が壊れました。
 


もうかれこれ1年くらい前からでしょうか。ハンドルを思いっきり切ると車の左前からミョーな音がするんですよ。きゅるきゅるきゅるって。気にはなっていたものの、とりあえず車はちゃんと走るし曲がるし止まるしというわけで無視。
 


ところが、最近になってその音が酷くなってきた。きゅるきゅるじゃなくてごんごんという音がする。これはおかしい。いよいよおかしい。よくよく見てみると、タイヤの空気圧がおかしい。左前のタイヤだけ空気を入れても入れても抜けるのだ。と言っても完全にパンクした状態になるわけではなく、ある一定の段階まで空気が減ったところで抜けが止まるのだ。もしかしたらこれが原因かしらん。
 


というわけで、Advance Pitshopに車を持っていく。結論から言えば、ここ私の中の「行ってはいけない」場所リストに追加された。
 


話がスムースに進むようにと行く前に電話をしたことがそもそもの失敗。完全に裏目に出た。Johnなる人ごみで石を投げたら必ず当たるほどありふれた名前の兄ちゃんが電話に出て(と「タカシ」が言うな…言うまでもないですが、私の本名です)とりあえずオレんとこまで車をもってこいという話になっていたので素直に受付でJohnを呼ぶように頼む。
 


ところが、待てど暮らせどJohnが出てこないのだ。20分くらい待って相当イラついて受付に戻ると「もうすぐ来るから」とほざく。はい。それからたっぷり20分待たされたことは説明に及ばないかと。
 


どうもここ、経費削減のためかどうかは定かではないが、受付を置いていない。電話は偶然受け付けにいた人が取るという方式を取っている模様。なので、Johnはどうもほかの修理をしていて受付にやってこれないようなのだ。なんだよ。このやり方。
 


で、40分以上何の説明もなく待たされてようやく件のJohn登場。人を見かけで判断しちゃいけないことは知っている。だけど、Johnはあの人であってほしくないと思って工場を見ていた、いかついツラしたスキンヘッドの兄ちゃんがやっぱりJohnだった。
 


Johnいわく、左前のベアリングの交換が必要とのこと。というわけで、この日はタイヤの交換のみ。さすが無駄にでかいジープ、タイヤもでかく高い。130ユーロの散財。誰だ、こんな車を日本から輸入したアホタレは。もっとも、5年だか乗って初めてのトラブル、日本の修理工場のレベルの高さ、あるいは(最近散々たたかれてるけど)トヨタのレベルの高さは特筆すべきなのかもしれない。
 


じゃあお前、40分待たされたくらいでぶーぶー言ってるのかってお思いの方、どうか最後まで聞いてほしい。それくらいじゃ人間のできた…訂正します、アイルランドのいい加減さに慣らされた…私はそこまで文句を言いませんよ。
 


Johnは部品を探さなければいけないから翌日電話すると約束した。もちろん電話などかかってこない。それくらいは容易に想像がつくから翌々日にこっちから電話しましたよ。そしたら、その翌日に電話するとのこと。はい。もちろんその翌日に電話などかかってきません。その翌々日に電話したら、部品を探すのに東奔西走してるから(ウソこけ)もう少し待てとのこと。で、それ以降Johnのアホタレは電話かけてもついに居留守を使い始める始末。
 


わかった。John。日本車の部品を見つけることはまま大変なことはわかる。だったらさ、「ごめんなさい。見つかりません」って言えばいいじゃん。こっちだって最大限努力をした上でないというならどうしようもないと思うよ。だけどさ、居留守まで使って電話に出ないってのはいったいどーゆー了見なんだよ。
 


というわけで、部品は見つからない、異音は増すばかりでもはや車に乗れる状態ではない。こりゃ困ったということで、私は妙案を思いついた。
 


そうだ、日本から部品を取り寄せればいい。
 


というわけで、日本から部品を取り寄せましたよ。例の13歳の少年が語学留学をしていたときに、親がEMS(国際スピード郵便)で手紙を送ってきたのだが、着くのに2週間以上かかった。なので、同じくらいかかるだろうなと思っていたら、なんと3日で届いた。しかも普通郵便で。
 


過去にもEMSよりも普通郵便のほうが早かったという話を何度も聞いたことがある。絶対とは言い切れないけれど、所要日数が変わらない、あるいは下手したら普通郵便のほうが早いのならば、EMSは使う価値がないような気がする。
 


ともあれ、この部品をJohnに持っていくことは私のプライドが許さなかった。Johnとは二度とかかわりを持ちたくないと思ったけっこうねちっこい私は誰かほかの工場を探すことに。
 


実は、うちの近所に数年来お世話になっている修理工場があるのです。そこに車を持っていかずにAdvance Pitshopに車を持っていた理由。久しぶりに行ったら
 


テナント募集
 


の立て札が。ああ、アイルランドは底なしの不景気です。
 


前にも書いたけど、アイルランドは日本以上のコネ社会です。日本でもだれか知り合いがいたりしたらことがスムースに運ぶということはままあるけれど、アイルランドは日本のそれの比ではありません。ぶっちゃけ、知り合いがいないとうまくいくべき問題もうまくいかない。ま、今回の修理工場なんかが卑近の例と言っていいかと。とどのつまり、この辺がアイルランドにガイジンとして住むことの難しさなのかもしれない。
 


というわけで、地元にどこか信頼のできる修理工場はないのかと近所に住む同僚に聞いて回ったら、出てきましたよ。約一名。いわく
 


同僚:「過去5年ほど私の車の世話をしてもらっているけどいつも良心的な工賃で修理してくれて、ただの一度も問題になったことはないわよ」
 


ほらほら。きたきた。これこそが私の捜し求めている人だよ。よし、その人紹介して。
 


同僚:「いいけど、ちょっと問題があるかも」
 


なによ?問題って?
 


同僚:「ちょっとひざの調子が悪くてもうすぐ手術を受けるらしいのね。もしかしたら今は修理してくれないかも。」
 


なに?大丈夫なの。その人。
 


同僚:「大丈夫よ。もともと修理工場で働いてるわけじゃないけど、所轄の警察で40年にわたって車の修理をして、定年退職した人だから、車に関しては隅から隅まで知ってるわ。
 


…ってその人今いくつよ。
 


同僚:「たぶん、75かそれ以上行ってるんじゃないかな。大丈夫よ。腕は確かだから」
 


不安です。はっきり言って。
 


もちろんそうは言いませんでしたよ。だけど、不安だわ。そりゃ。
 


とか言いつつ、数日後の夕方、その件のじーちゃんの家の前に同僚のダンナと私の姿があった。って、修理工場でもなんでもないフツーの家。強いて違いをあげれば、家の前庭に明らかに廃車と思われる車が2台。増す不安を胸にドアベルを鳴らす。誰も出て来ない。こりゃ不在かと、がっかりしつつ、でも心のどこかで安心していると、中から人が出てきた。私と同い年か少し上と思われる女性。
 


女性:「ああ、おじいさんね。ちょっと待っててね」
 


…おーい。私と同い年くらいの孫がいるって、件のじーちゃんいったいいくつなんだよ?
 


さらに数分後、出てきましたよ。杖ついたよぼよぼのじーちゃんが。
 


ちなみにうちの父方のじーさん、未だ健在です。いや、そんな言い方したらじーさんにはたかれる。未だに元気で周りが止めるのを聞かずに未だに車の運転をしているほど元気。御年86歳。そりゃ日本人に比べるとこっちの年配の方は年上に見えるけどこのじーさんは私のじーさんより年上に見えるぞ。どう控えめにみても80歳は超えていると思う。
 


じーさん、よぼよぼと私の車の止まる家の前の通りに出てくる。よし、ちょっと家の周りを1周して異音を聞いてみようということになる。ところが、この杖ついたじーさんが車に乗るまでで一苦労。私の車、 SUVなる車種の端くれで、乗用車に比べるとほんの若干だけど車高が高い。ところが、その「ほんの若干」が年寄りには大きな差になるらしい。手を貸しつつ助手席に乗っていただく。
 


さあ、距離にして1キロあっただろうか。じーさんの家の回りを1周して異音を心置きなく聞いていただき家の前に戻る。じーさんは車からよぼよぼと降りると家のほうに戻っていく。なんだなんだと見ていると、家の前においてある廃車からジャッキを持ち出してきた。なるほど、廃車は倉庫として第二の人生を歩んでいたのね。
 


そのジャッキを件の左前の車輪にセットしてえっちらおっちらジャッキアップ。じーさん、いろいろ指示を出してくる。
 


じーさん:「ハンドルを切れるだけ左に切って」
 


はいはい。
 


じーさん:「ギアをニュートラルにして、サイドブレーキを元に戻して」
 


…いや、それやると、車、動きますよ。じーさん車につぶされてほんの数年早くなるだけとはいえ(殴)80余年の生涯を閉じることになりますよ。
 


そんなこんなで苦節10分かそれ以上、じーさん、ようやく検分を終えたらしく車の下から出てくる。そして、一言
 

じーさん:「手貸して」
 


そう、じーさん、自分では立ち上がれないのだ。
 


あのー、冗談が通じない人のために真顔で申し添えておきますが、私、年寄りを莫迦にするつもりは毛頭ありません。刻まれた皺の数だけの知識があると信じて疑ってません。その反面、こんなこともあった。
 


今を去ること15年ほど前。私が大学生だったころ。家の前がそりゃシャレにならないほどの激坂だったのです。距離にして20メートルもなかっただろうけど、自転車ではどんなに助走をつけても登れないほどの坂。もっとも、目の前には大通りがあって大通りと歩道の間の縁石がかなり高くて助走をつけたくてもつけれらなかったんだけどね。
 


その激坂、逆に言えば、大通りに出る方向ではとんでもない下り坂だったりするわけ。フルブレーキでようやく止まれるかどうか。その坂をいつもどおり下っていたら、どうしたことか、この日に限って大通りの前にある門が閉まってる。やべーと思ったときは時すでに遅し。閉まっている門に激突してしまった。
 


幸いといえば幸い、私は自転車から転げ落ちることもなく平気。いてーで済んだと思ったわたしは甘かった。前輪にかかるフレームが思いっきりひん曲がってしまっている。
 


それを放置しようにも前輪がうまく動かない。やむなく近所の自転車屋さんに持って行った。そこはいい加減お年を召したと思われるじーさんが一人でややっている自転車屋さん。自転車は程なく修理されて戻ってきた。それに乗って自宅に帰る途中に事件は起きた。家の前とは別の坂を立ち乗りで乗り越えようとしていたら、突然ハンドルがすっこーんと落ちてしまったのだ。そう、部品を替えて、ハンドルを据え付ける際に六角の締め付けが甘くて立ち乗りでハンドルに力をかけた際にその力に耐え切れずにハンドルが落ちてしまったのだ。
 


それから程なくして件の自転車屋さんの前を通ると閉まっている。さらにしばらくして自転車がパンクしたので別の近所の自転車屋さんに持っていく。そこで、この件の話をすると
 


自転車屋さん:「あ、尾関さんなら先月亡くなっちゃったよ」
 


生涯現役だった自転車屋さんをほめるべきか、締めるべき六角を締められな�