【雑感メモ】ヨーロッパの生死観

エアフランスの事故。いや、ヒコーキの話だからじゃなくて、ヘンなとこに違和感を覚えたんですよ。ちょっと新聞記事からコピペしてみますね。


「生存者が救出される可能性は極めて低い」(サルコジ仏大統領)


“We know Aisling is gone, we are sure of that… It is just about trying to live now, I have to live for my wife and my only other daughter…” (行方不明となったアイルランド人の女性の父親)


これを書いている6月2日午後1時の時点で機体はまだ発見されていません。すなわち、乗客乗員の安否は不明。日本だったらこの段階から、一国の代表者が「生存者の救出は望み薄」とか、行方不明になった人の家族が「もう娘はこの世にいないと確信している」とか言わないと思うんですよね。


確かに、合理的に考えたら生存の可能性は絶望的というのは通りなんですけど、でも、麻生総理だったら、「ただいま全力を挙げて捜索に当たっている」としか言わないだろうし、家族は「もしかしたら不時着水して救出を待っているかもしれない」などと一縷の望みをつなぐと思うんですよ。


逆に言えば、麻生総理が、機体が見つからないうちから「生存者の救出は望み薄」なんてうっかり言った日には、関係者をはじめマスコミ等から大ブーイングを受けることになることは想像に難くないわけで。そして、私の家族が行方不明だったら、「もう娘はこの世にいないと確信している」なんて言わないと思うんですよね。ましてや、「残された妻ともうひとりの娘といかに生きてゆくかだ」なんてこの時点では言わない。とても言えない。


むろん、新聞の記事だけじゃ伝わってこない点もあるんでしょうけど、日本的な感覚で言えば、なんかさばさばしてると言うか、冷たく聞こえませんか?誰かの死って、そんな簡単に受け容れられるもんなの?ましてや、その誰かが家族や最愛の人だったときも。それとも、口ではそういっても心では違うことを考えているの?


まあ、考え方によってはすごく現実を見据えた前向きな意見と言えなくもないと思います。なので、どっちがいいかってのは言えるはずもないのですが、なんか引っかかったのでメモしときます。個人的には、合理的じゃなくてもいいから、何らかの奇跡が起こってくれればと思うのですが。


追記。


すぐにアップロードすることを重要と考えて慌てて書いたので、なんかいまいち言いたいことがはっきりしませんね。


現在6月3日午前1時。この日記を掲載してからわずか数時間後にやはりといえばやはり、機体と思われる破片が発見されたとのこと。こうなることはわかっていたとはいえ、行方不明の人の家族や関係者の心痛はいかばかりかと。


とにかくね、まったくの野次馬である私ですら奇跡を祈っていたのに、当事者や関係者が「こりゃだめでしょ」と言っていたのがどうしても違和感を感じざるを得なかったのです。


一縷の望みをつなぐということ、悪く言えば現実を受け入れないこと、よく言えば希望を捨てないということ。これがいいことなのか悪いことなのか、私には皆目見当がつきません。