【廃道をゆく4補遺(1)】【帰省10】初代竹田津隧道

廃道をゆく(4)に大分県は国東半島の国道213号線の旧トンネル群の記事を書いて、自分で物足りないなと思っていた部分があります。というのも、明治時代に作られた2つのトンネル、チギリメン隧道、初代竹田津隧道に触れなかったこと。なぜ触れなかったかは単純。ガチ廃隧道だから。でもさあ、ここに行かないと、やっぱりレポが完成しない気がして行って来ました。



(↑番宣。廃道をゆく4、発売中です。私の書いた原稿も読めます。)


腹が減っては戦はできません。というわけで、まず向かったのは豊後高田にある鰻屋さん。なんかウナギ、下手したら食べられなくなるかもしれないらしいですね。噂ではアイルランドの湖にうじゃうじゃいるらしいのだが…。だからと言って捕まえてさばいて食べる勇気は私にはない。


まずは初代竹田津隧道。

(新竹田津トンネル高田側)


竹田津トンネルについてまずはお勉強。このトンネル、1987(昭和62)年に開通した国東市と豊後高田市の間にある1010メートルのトンネル。1キロを超える国道トンネルは国東半島ではここだけ(「国道」でなくていいのなら、「速見大田ふれあいロード」というその愛称を考えたアホタレに説教をタレたくなる恥ずかしい名前の農道の鋸山トンネルが1120メートル。主要県道大田杵築線の波多方トンネルが1038メートル)。これが3代目。二代目は1958(昭和33年)に開通した。長さは390メートル。これ、中央線がない幅5.6メートルのトンネルでして、当然大型車の離合(すれ違い)ができない仕様でかつ、3代目に比べて1キロ近く山側に迂回している仕様のため、まあ、3台目の開削はやむをえなかったといえる。

(2代目竹田津隧道高田側)


件の初代。明治期に開削されたのだが、いつから使われなくなったかはイマイチ不明。間違いなく言えることは、現在は一部のヘンタイ…じゃなかった道路趣味者が年に数人訪れる程度で全く利用されていないということ。

(国見側の国道分岐点からすぐのところ)


今回はとりあえず国東側から行ってみる。調査には騙されて連れて来られたかわいそうなもじゃこ(♀)が参加。それは実にありがたいのだが、もじゃこの車は3ナンバーのマークII。…どう考えても廃道を訪れる車じゃない。軽トラ(別名田舎ベンツ)だろ。こんな時は。

(どんどん登ります)。


車で入れたのはここまで。ここで道が二股に別れていたがどちらも廃道。左に100メートルちょい進めば初代竹田津隧道を拝むことができる。

(廃道系サイトの常連さんならおなじみでしょうが、ここ、昔は道だったんです)


…と言えば簡単だが、完全に道が自然に還ってしまっているので、竹をバキバキ割りながら進むハメに。冬でよかった。


隧道内は水没しているという情報を事前に掴んでいたので長靴を装着。長靴は豊後高田のトライアルで899円で入手。トライアルとは九州のあちこちにあるディスカウントストア。潰れたスーパーなどの建物を利用して出店費用をギリギリまで抑えている。豊後高田店も元寿屋というスーパーの建物をそのまま利用。ぶっちゃけ汚い。


いきなり発見したのはイノシシ用の罠。こんなもんでイノシシが捕まるのだろうか。


長靴を履いて、竹をバキバキ踏み割りながら進むとあっさり到着。ちなみに騙されて連れて来られたもじゃこは車周辺で待機。


初代竹田津隧道。


一昨昨日に東京に10年ぶりとなる大雪をもたらした低気圧がここを通過。まとまった雨が降ったせいもあってか、かなり激しく水没。良かった。長靴を履いてきて。

(気の毒なのは、私に買われたカメラ。よりによってIXYのサマンサタバサ限定モデルのピンク色。そんな可愛いカメラなのに、まさかこんな水没した穴蔵に連行されるとは夢にも思っていなかっただろう…それ言い出したら、アイルランドで車載動画用に酷使されているのも十分気の毒か)


…と思ったら甘かった。長靴を超えんばかりの水深。できるかぎり進んだが、次の一歩を踏み出すとこりゃ長靴が水没するだろうというところまで来てしまった。最後まで進むことはかなわなかった。

(旧道と現道の交点。国見側からトンネルを超えてくると、このように自然な形で現道にぶつかる)


かくして、三代目の竹田津トンネルを利用して豊後高田側の坑口へ。こちら側の現道からの入り口はよく知らなかったが、豊後高田側から来ればゆるやかな左カーブとなる道があり、あっさりここだと判明。

(どんどん登ります)


以外にもこの道はつい最近まで利用されていたらしく、狭いながらも白線が引かれている。


途中で竹が道を塞いでいたので撤去。…繰り返すけど3ナンバーのマークIIで入ってくる道じゃないね。


これ以上進めないという所まで来て、車を放棄。徒歩に切り替える。


車を放棄した場所からどれくらいの距離があるかは不明だったが、3-400メートル進んだら一軒の廃屋が出てきた。ぱっと見、窓枠にサッシなども使われているので、さほど古いものではないだろう。そして、この廃屋のお陰で廃道化がさほど進んでいなかったとも言える。


そして、廃屋の先は…完全に廃道。ちょっと進むと


鹿の骨


こんな完全な、そして立派な鹿の骨を見たのは初めてだと思ったが、いや待て、鹿の骨を見たのが初めてのような気がしてきた。鹿の骨を見たもじゃこは戦意喪失。私だけズカズカ進む。するとあっさり


初代竹田津隧道。豊後高田側坑口。

(あ、もっと先の後一歩でマジ水没というところまで進みましたよ)。


こちら側も見事に水没。トライアルの899円の長靴が大活躍…したのだが、こちら側もやはり50メートルも進むと長靴が水没の危機に。結局通り抜けは叶わなかった。

(閉塞はしていない。その気になれば通り抜けできる。ただし、この日だったら膝までは水没確実だが)


ほとんどの読者さんはポカーンとさせつつ、次回に続く。


おまけ。


廃道に連行されて、力づくでUターンさせられるマークII。すまんかった。もじゃ。