いのち。永遠にして…。

ちなみに題名は私が不覚にもぼろぼろ泣いてしまった柳田邦男氏の息子の脳死の体験をつづった犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日 (文春文庫)
という本の巻頭の言葉を拝借しています。私が誰かにたった一冊の本を薦めろといわれたら間違いなくこの本を薦めます。


わりかし仲のいい同僚がケータイの待ち受け画面になっている写真を見せてくれた。そこには生まれて間もないと思われる赤ん坊の写真。


同僚:「これ、ボクの赤ちゃん」


またまた冗談を…と言おうとして私は凍り付いてしまった。そうだった。この同僚の奥さん、つい数週間前に流産をしたのだった。しかも双子を一週間の間隔で二人とも。そしてその流産をした赤ちゃんの写真をケータイの待ち受け画面にしているのだった。


その写真の赤ちゃんは、確かに目は閉じていたけど眠っているかのようで決して産まれてくることのなかった赤ん坊、もっとありていに言ってしまえば死体のようには見えなかった。本当に眠っているかのようだった。無論ケータイでの小さな写真を一瞬見ただけだから細かいことはわからないのだけれど。


彼はいったいどんな気持ちでこの写真をケータイの待ち受け画面にしたのだろう。それを考えると泣きたい気分になった。 


それを体験したことのない私にとって流産ってのは、産まれてきたわけじゃあないから産まれてきて一緒に過ごした赤ん坊や子供に比べればさほど悲しくないんだろうと勝手に思い込んでいた。


いや、それ自体は間違っていないのかもしれない。他人への思いはその過ごした時間に比例して大きくなっていくのかもしれない。それでも流産っていうのは私が考えるよりずっとずっとつらい地獄のような体験なのだと思い知らされた。たとえその赤ん坊が動くところを見なくても、彼らは産まれる前からいろんな夢を見ていたに違いない。名前は何にしようかからこの子は大きくなったら何になるんだろうという夢想。それらの運ばれてくるはずの夢や希望が砕かれてしまったのだ。


詮無い話なのだがもし彼らが地価狂乱のあおりで地方に家を買わずダブリン市内に家を買っていればあるいは救急搬送が間に合ったかもしれない。あるいはより高度な医療がある国に住んでいれば赤ん坊たちは助かったかもしれない。詮無いとはわかっていてもそんなことを考えざるを得ない哀しく切ない写真だった。いのち…ってなんだろうっていまさらに考えさせられた写真だった。


ところで、ずっと具合の悪かった私の大好きな祖父がちょうど24時間前に他界しました。危篤の一報が入って数時間後に息を引き取ったらしい。自宅介護での「畳の上での往生」だった模様。


祖父が言った言葉に心打たれて無理をして叔父の式に参加したのが2年前。それから長くはないとはわかっていた。思いつく限りのすべての病気が進行していたことはわかっていた。この数年で一気に老いたことはわかっていた。もういい加減80も半ばでいつお迎えが来てもおかしくはない状況だった。だけどいざ亡くなられるとやっぱり淋しいし哀しい。何か私の人生のかけがえのない一部を喪ったことは間違いないと思う。


私のコドモ時代ってちょっと不思議で、イナカのじーちゃんばーちゃんの家というのが東京の下町だった。つまり、都会のコドモが夏休みになるとイナカのじーちゃんばーちゃんちに行くように、私は休みごとに東京に行っていた。初孫ということで可愛がられたのだろうけど、祖父には将棋を教えてもらったり宿題を手伝ってもらったり本当に優しい人だった。いつ行っても決して「いらっしゃい」とは言わなかった。必ず「お帰り」と言ってくれた。そのためこの家は未だに
自分の家のように思っている。


東京の下町で本当にささやかにつつましい自転車屋を営んでいた祖父は一部から「仏の自転車屋」と呼ばれていた。金に執着のない祖父は例えば本来なら3000円もらうべき仕事に2000円とかしかもらわない人間だった。今書いていて気がついたけど、私が金に対してでたらめと言えるほど無頓着であることは祖父からの遺伝なのかもしれない。


そして、私がやたらと涙もろいのは間違いなくこの祖父からの遺伝。祖父は水戸黄門を見るたびに涙していたくらいだったから。亡くなったから美化して言うのではなく、私は祖父の悪口をいう人にいまだにお目にかかったことがない。世の中100人の人がいて99人の人に好かれたら残りの一人にねたまれたりするのが常だけど、私の祖父に限ってはそんなことはまったくなかった。百人中百人から好かれた稀有な存在だったと思う。


正直なところ、死に目に会えないことはわかってはいた。やはり1万キロも離れたところにいる限り、どんなに急いでも24時間はかかる。今回の場合、「危篤」の情報がもたらされて「死去」と伝えられるまでわずか数時間。九州に住む私の母ですら死に際に間に合うことができなかった。


それでも好きでアイルランドに行ったことを言い訳にしたくない。遠いことを言い訳にしたくない。航空券が高いことを言い訳にしたくない。祖父が「葬式に来てもしょうがない」と言っていたことを言い訳にしたくない。周りから「無理してこなくていい」といわれたことを言い訳にしたくない。わがままで莫迦な私を可愛がってくれたことにきちんとお礼を言いたい。そしてきちんとお別れを言いたい。かくして、私は今日本に向かうヒコーキの中にいます。


じーちゃん、今、会いに行くからね。お礼を言いに行くからね。本当は言いたくないけどお別れを言いに行くからあと何時間か待っていてね。私はほかのみんなと同じようにあなたが大好きでした。いや、過去形なんかじゃない。あなたが大好きです。あなたの孫に生まれたことを誇りに思います。