地雷を踏んでみる:愛国心について真顔で語ってみる

愛国心…と聞いてどんなことを思い浮かべるでしょうか。一昔前の私なら、「ウヨクっぽくてなんだか戦前の軍国主義みたいでヤだな」とでも答えたと思います。なんか、愛国って言葉の向こうにある胡散臭さを感じていたような気がします。


ところが、日本を離れてアイルランドなる国に10年近く住んでいると、やっぱりね、自分の国を誇りに思いたいって気持ちが自然と湧いて出てきた気がします。お前はどっから来たんだと聞かれたとき、やっぱり、胸を張って「日本人だ」と答えたいじゃないですか。「オレは日本という素晴らしい国の出身だ」って言いたいじゃないですか。その気持ちって「愛国心」って言っていいと思うんですよね。なのに、愛国心という言葉から、日の丸君が代強要でセンセイが起立しなくて処分…とか、なんだか別の次元の連想がされるのは不幸と言えば不幸な気がします。

なんでこんな話を始めたかというと、今度の中国の地震。うちの会社に5人ほど中国人がいるんですけど、彼(女)らの反応は早かった。地震発生から二日目にして、テンプレメールではない自分たちで自主的に作った(と思われる)メールを社内全体に送りました。くどくど書いてはいたのですが要約すると、赤十字に送るからカンパしてくれという内容。そして、会社の受付に巨大なカンパ用の箱が置かれました。

なんかね、ちょっと感動したんですよ。ああ、これも自分たちが中国人であるという誇りと、そして、お国の一大事を放っておけないという気持ちの表れなのかなあって。

たとえば日本で同じような大震災が起こったとします。そんな時に私はネットのニュースをむさぼるように見ることがあったとしても、「自分」「主体的」に何かをしようというという気分にはならなかったと思うんですよね。だって、日本から1万キロも離れたアイルランドに住んでいるんです。何もできそうにないじゃないですか。だけど、彼(女)らはすぐにカンパという行動を思いついてそれを実行に移すしたわけ。もし、こういう行為を「愛国心」と呼ぶのなら、それはそれで悪くないなあという気がするのです。

ただねえ、最近の日本と中国の関係の悪化からか知らないけど、ネット上に日本人が今度の地震を「ざまみろ」とか「天罰」だとか言っているやつが結構いることがすごく気になるのです。確かに私も中国に言いたいことはあるけど、だけどさ、下手したら万単位の人がいまだに生き埋めになっているかもしれないというニュースを聞いて「自業自得」なんて言う人の神経が私にはわからない。もしこれが、歪んだ愛国心から来ている発想なら、そんな愛国心はいらないという気もします。

私の願いは単純明快。日本は、これからもずっと自分が胸を張って日本人だと言える国であってほしいと思います。